2015年9月10日木曜日

PBPとは 2015年パリ・ブレスト・パリ(PBP)1200km完走記  <序章>

ブルベ戦記  第273話


18th PARIS BREST PARIS Randonneur

PBP(パリ・ブレスト・パリ)1200km
 



4年に1度のブルベの世界大会~
18th PARIS BREST PARIS Randonneur=パリ・ブレスト・パリ(PBP)1200km
 2015年8月16日~8月20日、65ヵ国6千人以上が出場。フランスにて開催。



私がブルベを始めた2011年の当初から、心の羅針盤はつねに、この最高峰イベントを指し続けてきました。

前回(2011年)こそ、ブルベ初心者ゆえに出場資格となるSRを獲得できなかったのですが、2012年以降は毎年、SRを獲得するよう心がけて実行し、2015年も早々にその条件を達成。満を持して大会開催の8月を迎えるはず、、、でした。



が、

6月初旬、尾根幹で練習走行中にクルマと衝突して激しく落車。
左肩の鎖骨を骨折、肋骨の一部も骨折もしくはひびの疑いとなる負傷を負い、大会2か月余り前にして、一時はベッドからの寝起きにも苦労するほどの痛みを抱え込みました。

全治6週間との診断でしたが、折れた骨が蘇生されて、違和感なく肩を動かせるようになったのは結局、8週間後の8月初旬。肋骨に至っては、そのもう1週後(つまりPBP出発直前)ぐらいまで痛みが残っていました。


治療中は当然、ブルベ距離を走ることはおろか、近隣サイクリングさえ出来ませんでした。




それでもだんだん日程が近づき、所属するR東京でもPBP勉強会が開催されたりもしました。



ひとつの希望は、8/1のR東京の200kmブルベ(BRM801 東京200 金太郎ナイト)でした。
(これぐらいの適度な距離をしっかり完走して、足がかりにできれば、めどはたつ)

特に暑い時期なので、周りのPBP出場組も、そんなに極端に長い距離をこなすトレーニングはしてなさそうな感じでした。



その前週の7/25、まだ肩の違和感が残っていたにもかかわらず、急いてスタッフ試走に出ました。4月の600km以来、かなり久しぶりのブルベ走行でした。



序盤は脚が回った気がしたのですが、すぐに馬脚を現しました。

一つ目の坂区間は、まだ勢いで登れましたが、二つ目の山間部に入ると、突然バテがきました。いつものように走れません。あっという間にほかのスタッフたちから置き去りに。
無理に脚を回そうとして、これではさらに腰を痛めそうな感じです。




夜明け。敗北の朝、です。




100km過ぎて夜が明けてきて、ひとり小田原まで下りてきたところで、日中の暑さによる消耗を防ぐため、そこでやめておきました。
かなり情けない状態です。



そしてその1週間後、8月1日。
BRM801 東京200 金太郎ナイト本番。
もう認定走はできないので、同じコースを見回りしながら、ひとり走り込むことにしました。が、、、、




しかし今度は、序盤の中原街道で、ひどいタイヤバーストに見舞われます。

1年間つかってきたRACE-DをPBP前に新品に交換しておこう、としていた矢先でした。
原因というのは複合的に、必ずどこかにあるものです。
骨折事故もそうですが、「自業自得」という言葉が何度も頭をよぎりました。


みると、タイヤの表面が裂けていました。
予備はチューブしかもってきておらず。
「PBP前のフル装備」と称しておきながら、これまた情けない限り。

応急措置して、家までたどりつくのがやっとのこと。





ということで、
PBP直前の真夏の200kmブルベで走り込み不足の帳尻を合わせる構想は、崩れ去りました。





そもそもブルベを始めて4年経つのに、まだ600km以上の距離を完走したことがありませんでした。

さらにこのひどい状態で、本当にPBPの1200kmを完走できるんでしょうか??
この心境は、4年前、ブルベ初心者ながら2011年PBPへの出場を目論んだ時と、なんら変わっていません。

この4年間、自分にはどういう進歩があったのだろうか???




しかし不思議と今回、焦りのようなものはありませんでした。

(フランスではきっと、自分は適応して走れるはず)
そんな、かな~り根拠レスな、しかし、確信めいた思いが内心あったのです。


PBP出場は初めてでしたが、フランスにはこれまでに2度、長期滞在も含めて行ったことがあって、その風土や食事といった環境はすでに馴染みになっていたこともあります。

(まあ、これ以上悪くなることはないし、あとは状態は良くなるばかりだ。実際のスタートまではまだ半月あり、その間にできることもある)
と、冷静に考えることもできていました。
淡々と日々前進しながら、なんとか、この悪循環を断ち切る、そう考えていました。



タイヤバースト後、未明に帰宅して翌朝、

さっそくタイヤ&チューブ交換から取り掛かりました。




タイヤはまたRACE-Dに。

PBP用に25Cを推奨する話を聞いたりもしていましたが、
RACE-D本来の振動吸収性の高さを知っているので、また23Cを選択。
(結果的にはこの選択で間違ってはいませんでした)


タイヤを交換して、事故後はじめて尾根幹へ。


PBPまで週末はあと2回しかありません。
暑さはありますが、休日の時間を無駄にすべきではないので、走りに出ます。

緩いアップダウンが続く尾根幹は、PBPのコースに似ている、とされています(交通量、信号機の有無は除く)。坂でのギアの使い方など、自分の走りを改めて確かめるように走ります。




一方、荷造りも本格化しました。


まず電源関係。
エネループの1.5倍のもちがあるとされるリチウム電池を初めて投入することに。
ところが、都内のあちこちを回っても、まだ在庫が少ない。

かき集めて、ようやく一定の本数を確保できました。




電池の交換予定表です。
リチウムだけでは本数が足りない予想だったので、
エネループも加えて、
長く愛用してきた、ガーミン(etrex30)とLED照明(SF-333XX)2本の単3として使用。



飲料系は、フランスが「コンビニ無し、自販機無し」の、いわば月面か火星のようなところなのでw、水を加えるだけで飲める粉末が活躍するのでは。
ということで、定番のポカリと、CCDの2種類を大量購入。
(これが目論みはずれ、大量に持って行って大量に余り、荷物のまま持ち帰る羽目になるのですが)




装備の準備の過程では、アイデアが浮かんでは消え、試行錯誤の繰り返しでした。

あまりやったことがないことには手を染めないほうがいいんですが、
何せPBPのこと、通常のブルベと違う装備が求められるはず、と構えてみたり。

この新幹線の先頭部分(あるいはミサイル、魚雷)のような、プロファイルデザインのハイドレーショボトルは、浮かんでは消え、の「消え」のほう。

1リットル近く入るのですが、ややハンドルが重くなる。
結局、工具類をボトルケースからバッグの中に移し、ボトル2本を本来のチューブ内側につけることで、ハンドル上にボトルを追加してつける必要がなくなりました(汗)。

このハイドレーションボトルは結局、今回は持っていきませんでした。
が、ボトルケースにもちゃんとはまるので、容量の多さを考えると、いずれまた長距離ブルベで使う機会があるかもしれません。




そのハイドレーションボトルの付属の台座部分は使えました。
SF-333XX の上におみこしのように載せる形で、ガーミン&サイコン&キューシートをまとめるハンドル上のプラットフォームとして今回、立派に活躍。

ついでに、夜道がおそらく真っ暗なPBP対策として、キューシートなどを照らす手元灯も付けましたが、実際は暗闇でこれは、手元が明るすぎ、でした。
次の機会からは、光軸の向きを調整する必要がありますが、照明が多い日本の夜道では、これまで同様、そもそも要らないかもしれません(いや、やっぱり要るかな?)。



使うべきか迷ったのが、この定番のハンドルバーバッグ。

現地の雨予報があったほか、ハンドルバーバッグを付けた時に限って、よく不調に陥っていたので、あまり使う気がしませんでした。

持っていきましたが、実際には装着せず。
留守中のホテルに置き去りにされ、工具入れバッグと化していました。




とかなんとか、
装備の試行錯誤を重ねているうちに、ほぼいろいろと固まってきました。
この後、マッドガードも持って行くことにしたのですが、本番では徹底的に軽装化路線に傾き、当日は装着しませんでした。



いよいよお盆が近づき、ツアー業者のグッドウィルツアーから、航空券ほか、書類が届きました。旅情が徐々に高まってきます。



ルディアックでのドロップバッグも送られてきました。
今回は青色(前回は黒だったそう)。
フランスっぽくていい色です。


おみやげを帰国直後に宅配してもらう、という便利な裏ワザの紹介も。



大会事務局からもメールで注意事項なども。



一般公道を走行する上、万が一、DNFした際にレンタカーでも移動できるよう、
国際免許を取得しておきました。


AJ(オダックスジャパン)の記念ベストも届きました。



そして、

食べることも大事な「準備」。



さらに大事な準備が、バイクの空輸対策です。




このままでは当然ながら、入りません。

3辺合計203cm、重さ23kg以内(正確には23.9kgであることをのちに空港の航空会社の担当者から聞きました)にとどめないと、片道2万円の超過料金をとられてしまいます。

エイカーのバイクポーターPROがその規格内に収まるケースなのですが、
プラ板ケースだけで1万円以上するので、箱自体は、ワイズロード新宿本館でロードバイク運送用の段ボール箱をおすそ分けしてもらい、サイズを調整するなどして自製することに。

付属の、箱を包む袋が持ち運びに便利らしいので、それは購入しました。



これまた、あーでもない、こーでもない、とやって、
ようやく箱に入るサイズに。

つまり、ハンドルやペダル、Rディレーラーまで外すわけです。
ふだんの輪行の応用編、といった感じです。







分解してしまったところで、出発まであと1週間。

最後の週末になりました。

やはり少しでも足慣らししておきたかったので、
ここで登場は、かつての愛機(今は息子がフラットバーハンドル化して使用)のGIANT DEFY。

自分の練習坂、「よみうりV通り」へ。



(この、いつもの坂を越えずして、フランス行きはない)なんて、
自分に暗示をかけるように、妙に意気込んで登ったりしました。

こんな距離ですぐに脚力が戻ってくるわけではないんですが、
体調が徐々に上向いてきているのはなんとなく感じることができました。



そうしている間にも、まだまだ準備
普通に仕事して、帰宅後の夜、延々と荷造りします。

チェーンオイルをどうやって持ってゆくか、とか。
(この容器のままだと、手荷物検査でひっかかったりしますので)



最大の「お荷物」はこれでした。

(食べ物にありつけないのでは)との懸念から、大量に携行食を買い込みましたが、、、、。
これらは帰国時にほとんどそのまま、息子へのお土産にw

郷に入っては郷に従え、です。
もともとパン(&チーズ、バター、ハム)が好きな私。
現地では結局、チーズやハム入りフランスパン(それがフランスでいう「サンドウィッチ」)ばかり食べていました。


スタートの時には付けていたこれ。
走っているうちに、いつのまにか消失しており、その後は替えを付けることさえ忘れていました。


一番重要な準備はこれだったかもしれません。
これがあったおかげで、無事完走できた、といっても過言ではありません。


走行時間予想を6パターンつくりました。
教えてもらった、某・日本の同盟国のクラブの便利なエクセル表を活用して、
さらに自分で使いやすいように改良。

実際には、このうちの1パターンが、序盤から1000km過ぎの終盤まで、PC到着時間がどんぴしゃりでした。
おかげで、各PCでは安心して休憩時間をとることが出来たほか、終盤に起きた窮地でも、時間を読むことができて、大いに助けられました。

今回の一番の収穫だったかもしれません。


今年開催されたツール・ド・フランスのコースと一部区間が重複しているので、出発前に改めて、区間と距離をチェック。



出発の前前夜にいったん荷物をまとめました(が、、、、)。



そうそう、これは沿道で飲料などを提供してくれるらしい現地の方々にお礼で配ります。
東急ハンズ渋谷店の外国人向けのお土産コーナーにありました。
(結果的にはこれらは数が足りず、もっと多く買ってゆくべきでした)



前前夜に荷物をまとめたところで、家人から「こんな重そうな箱を羽田まで運べる訳がないのでは」と懸念の声。
「大丈夫だよ」と強がりましたが、その後、話を聞きつけた川崎の実家の母親からも、心配の電話があり、ちょっとした騒動に。

これらの懸念を払拭するため、出発前日、これまた付属品の、この箱の下につけるキャスターを購入しました。

このキャスター。在庫を確認しようと、数日前にも電話で、これまた、近辺でバイク関連の在庫が豊富な前述の店(ワイズロード新宿本館)に確認したら、なんともう無い、とのことだったのであきらめていたのですが、
なぜか前日になって再度電話したら、在庫が6個ある、とのこと(え!?)。

で、会社帰りに店に寄って、無事入手。




翌8/14、ついに出発当日を迎えました。




最寄り駅(経堂)まで家から普通にバイクケースを転がして歩いて行ってもよかったのですが、家人にクルマで送ってもらい、まず小田急(写真は代々木上原駅。千代田線に乗り換え)に。

お盆休みにかかってきていることもあり、いつもの朝よりは若干空いてきていました。
バイクケースは、キャスターを付けて正解でした。移動が楽です。


原宿で山手線に乗り換え。



さらに品川で京急に乗り換え。
あの、♪レミファソラシド~の音(謎)に見送られます。



出発の約2時間余り前に、羽田空港の国際線ターミナルに到着。
ついに、ここまできました。
そして、気が付くと、肩や肋骨の骨の痛みはもう、すっかり消えていました。



今回、往復で利用するのは、ANAの羽田-シャルル・ド・ゴール直行便です。

その前にまず、空港のauショップで海外用の携帯(ガラケー)本体をレンタル。
フランスは珍しくGSM方式で、自分のガラケー(CDMA方式)が使えないため。

続いて搭乗手続き。
それらしい、同族の方々がちらほら見えます。

預け荷物のバイクケース。重さは約19kgでした。
電池なども機内持ち込みのリュックのほうに移していたので、すんなり預けることができました(預けられない荷物があったらしく、箱を開けさせられている参加者の方もいましたが)。


出国審査を終えて、搭乗口を確認して、いったんラウンジで一休みします。


定番の、冷えたトマトジュースを飲んで、落ち着きます。


免税店でさっそく、小瓶を買いました(ほんとはニッカが欲しかったのですが、店に在庫なし。ひどい)。


往復でお世話になる最新鋭機、ボーイング787が見えました。
いよいよ搭乗です。



では、フランスに行ってきます!

(つづく)